昔、某CMの仕事で、書道家の紫舟さんとお会いしたことがある。
書道家とは字の上手い人、というくらいの認識でいた私には、紫舟さんのお仕事は衝撃的だった。
たとえば「道」という字も、くねくねとしていたりして、本当に「道」という感じだし、
「雲」という字も、どんよりとしていて、どのような曇り空なのか想像が広がる「雲」なのだ。
もう10年近く前だったと思うけど、その頃からチームラボと組んで
自身の書かれた書をムービーにしたりされていた。
また、「ありがとう」と書いた書を立体のオブジェにして照明を当てた作品もあった。
後ろの壁に「ありがとう」の影が浮かんでいる。
「人が『ありがとう』というとき、その裏にはまた別の『ありがとう』が隠れていると思うんです」
そんな気持ちを作品にしたものだという。
書道とはデザインであり、そしてアイデアなのだった。
そんな紫舟さんのオフィスには、ゆりかごのような椅子がおかれていた。
「ゆらゆらと揺れているとアイデアが浮かびやすい」からなのだという。
「ライブで書を書くようなときは、その前に自分を感動でいっぱいにするんです」
ともおっしゃっていた。その感動が書に伝わり、観客にも伝わっていくのだと。
10年経っても、私はときどきその紫舟さんの言葉を思い出す。
そして、コピーを書くときも同じだと思うようになった。
時間のない仕事でも、クライアントの話を聞いたあとや、スタッフとブレストしたあと、一気にコピーが書けることがある。
あれは「自分を感動でいっぱいにしている」状態ではないだろうか。
逆に、全くその商品やブランドに共感できない状態のまま、いいコピーというのはなかなか書けない。
私がなるべくクライアントに会わせてほしい、取材をさせてほしいというのは、そういう理由がある。
一気にいっぱいにならなくてもいいかもしれない。
毎日少しずつ考えて行くなかで、その商品への想いが自分の中で飽和状態になる、ということもある。
それもまた「自分を感動でいっぱいにする」という状態かもしれない。
もちろん仕事だから、そんな状態にならなくても、納品することはできる。
けれど感動でいっぱいにしたときとしなかったときの差は、そのコピーの伝える力の差になってしまうような気がしている。