昨日、テレビで風の谷のナウシカをやっていました。
子供の頃から何度も見ていますが、
また最後まで見てしまいました。
つくづく素晴らしい作品です。
私が最初にナウシカを見たのもテレビでした。
映画館では見ていないのですが、
「風の谷のナウシカ」というタイトルだけは
とても有名でよく知っていました。
なぜならその頃、
安田成美さんの同タイトルの曲がすごくヒットしたからです。
風の谷のナウシカ
タララタラララタラララ〜♪
って、歌詞は忘れましたがメロディはいまでも歌えるくらい、
ザ・ベストテンなどの歌番組で、
何度も何度も流れていたのです。
けれどテレビ放送された「風の谷のナウシカ」では、
その安田成美さんの歌声は一度も流れませんでした。
ん?
あれってあの映画の主題歌じゃなかったのか?
「映画館では流れたんじゃない?」
翌日、学校で同級生たちともその話題になりました。
「ま、でもなくていいよね」
最後にはそんな結論になり、
劇中で流れる音楽の素晴らしさについて語り合いました。
しかしその後、テレビでナウシカを見るたびに
私の頭には安田成美さんの「風の谷のナウシカ」が一瞬浮かびました。
それくらいあの頃はヒットしたのか、
それともその曲調と歌声が印象的だったのでしょうか。
それもそのはず。あの曲は、
作曲 細野晴臣 作詞 松本隆
という、錚々たるメンツで作られていたのです。
昨日私はまた「風の谷のナウシカ」を見ながら、
その劇中歌の素晴らしさに感嘆し、
続いて安田成美さんの「風の谷のナウシカ」を思い出しました。
なんだったんだろう、あれは。
安田成美さんがまさか勝手に同名の曲を歌ったわけじゃないよね。
で、調べてみました。
やはりあれはあの映画の主題歌として作られた曲。
安田さんはイメージガールのオーディションを勝ち抜き、
あれがデビュー曲だったらしいです。
いかにも80年代っぽいプロモーションですね。
さらに劇中歌も本当は細野晴臣が担当するはずだったらしいのですが、
それを阻んだのはあの宮崎駿さん。
「物語のイメージに合わない」ということで、細野さんは降板。
代わりに映画のイメージアルバムのために曲を作っていた
久石譲さんの音楽が、本編でも使われることになったらしいです。
そしてそれは当時無名だった久石さんが、
脚光をあびるきっかけになり、
その後、宮崎映画の音楽は、ずっと久石さんが担当することになります。
いま聞くと宮崎さんらしいなと思うエピソードです。
そして「そうだよね。あの曲はナウシカの世界観じゃないよね(笑)」
と誰もが思う話ではあります。
でも、その頃その中のスタッフの一員だったら、と思うと、
ぶるぶる震え上がっちゃうような事件じゃないでしょうか。
当時の宮崎駿さんって、たぶんいまほど有名じゃないし権力もない。
一作目のルパン「カリオストロの城」は当初失敗作とされていたらしいし、
ナウシカはその次の作品。
ま、それにしては細野晴臣さんが楽曲を担当する予定になってたり、
大々的なオーディションが組まれていたり、
たぶんかなり期待されていた映画だったことはわかりますが、
そ、それをすべて一蹴してしまうって…。
オーディションにも楽曲制作にもお金はかかっているはずなのに。
だって1984年当時の細野晴臣に松本隆ですよ。
YMOがブームになった直後だし、
松田聖子や寺尾聰、数知れないほどのヒット曲の歌詞は松本隆が書いていた。
その曲だけで映画の話題を引っ張れるようなコンビです。
(実際にそのプロモーションは成功したからこそ、
いまだに私たちはこんなに覚えているんでしょう)
それを「物語のイメージに合わないから無理」
と却下できるって、どれだけすごい精神力なんだ。
映画会社だって「ですよね〜」なんて簡単に引き下がったわけがない。
きっとものすごいバトルやキリキリするような話し合いがあっただろうと想像できる。
私だったら、
「あ、じゃあ最後の部分、もう少し音楽に合わせて軽くしちゃおうかな〜」
なんてやっちゃいそうです。
でもやっぱりそれは正しかった。ナウシカは物語ももちろん素晴らしいけれど、
あそこまでの世界観を作り上げ、
それまで味わったことのない感動を世の中に与えることができたのは、
そして何度も何度も見返したくなるのは、あの久石さんの音楽があったから。
昨日も見ていてつくづくそう思ったのです。
自分の作りたい世界観をしっかりイメージし、
それと合わないものはいかなる大きな力があっても却下する。
その大切さをしみじみ感じます。
興業的には失敗するかもしれない。干されるかもしれない。
めんどくさいクリエイターとして敬遠されるかもしれない。
でもそんな恐怖に妥協していたら、あの世界的名作は生まれなかったのです。