コピーライター・こやま淳子のホームページ

書かなかった夏の終わり

夏の終わりは少しぼーっとしています。
「コピーは毎日書かないと書き方を忘れる」
と、日頃から言っているのですが、
出張や夏休みが重なると、数日コピーを書かない日もあったりして。

そうすると、やっぱり当然の結果として、
書けなくなるんですね。
書いていても確信が持てない。
何度直しても「これだ」という気持ちになれない。

書きながら新しいアイデアがひらめいて、
いい文章に更新されていく、
ということが、普段だと短い時間の間にも起こったりするのですが、
そんなことがまったくないまま時間が過ぎていく。

それでも、やっぱり、そんなときは、
書き続けるしかないんですね。
書かないことで生まれた不具合は、
書くことでしか解消できない。
数日間、はかどらなかった仕事を続けているうちに、
突然、その仕事に深く没頭できる日がやってくる。

そんなとき、ああやっぱり書く仕事をしているときが、
私は一番幸せなんだなあと思ったりしています。

ナウシカと安田成美

昨日、テレビで風の谷のナウシカをやっていました。
子供の頃から何度も見ていますが、
また最後まで見てしまいました。
つくづく素晴らしい作品です。

私が最初にナウシカを見たのもテレビでした。
映画館では見ていないのですが、
「風の谷のナウシカ」というタイトルだけは
とても有名でよく知っていました。
なぜならその頃、
安田成美さんの同タイトルの曲がすごくヒットしたからです。

風の谷のナウシカ
タララタラララタラララ〜♪

って、歌詞は忘れましたがメロディはいまでも歌えるくらい、
ザ・ベストテンなどの歌番組で、
何度も何度も流れていたのです。

けれどテレビ放送された「風の谷のナウシカ」では、
その安田成美さんの歌声は一度も流れませんでした。

ん?
あれってあの映画の主題歌じゃなかったのか?

「映画館では流れたんじゃない?」
翌日、学校で同級生たちともその話題になりました。
「ま、でもなくていいよね」
最後にはそんな結論になり、
劇中で流れる音楽の素晴らしさについて語り合いました。

しかしその後、テレビでナウシカを見るたびに
私の頭には安田成美さんの「風の谷のナウシカ」が一瞬浮かびました。
それくらいあの頃はヒットしたのか、
それともその曲調と歌声が印象的だったのでしょうか。

それもそのはず。あの曲は、
作曲 細野晴臣 作詞 松本隆
という、錚々たるメンツで作られていたのです。

昨日私はまた「風の谷のナウシカ」を見ながら、
その劇中歌の素晴らしさに感嘆し、
続いて安田成美さんの「風の谷のナウシカ」を思い出しました。
なんだったんだろう、あれは。
安田成美さんがまさか勝手に同名の曲を歌ったわけじゃないよね。

で、調べてみました。
やはりあれはあの映画の主題歌として作られた曲。
安田さんはイメージガールのオーディションを勝ち抜き、
あれがデビュー曲だったらしいです。
いかにも80年代っぽいプロモーションですね。

さらに劇中歌も本当は細野晴臣が担当するはずだったらしいのですが、
それを阻んだのはあの宮崎駿さん。
「物語のイメージに合わない」ということで、細野さんは降板。
代わりに映画のイメージアルバムのために曲を作っていた
久石譲さんの音楽が、本編でも使われることになったらしいです。
そしてそれは当時無名だった久石さんが、
脚光をあびるきっかけになり、
その後、宮崎映画の音楽は、ずっと久石さんが担当することになります。

いま聞くと宮崎さんらしいなと思うエピソードです。
そして「そうだよね。あの曲はナウシカの世界観じゃないよね(笑)」
と誰もが思う話ではあります。

でも、その頃その中のスタッフの一員だったら、と思うと、
ぶるぶる震え上がっちゃうような事件じゃないでしょうか。

当時の宮崎駿さんって、たぶんいまほど有名じゃないし権力もない。
一作目のルパン「カリオストロの城」は当初失敗作とされていたらしいし、
ナウシカはその次の作品。
ま、それにしては細野晴臣さんが楽曲を担当する予定になってたり、
大々的なオーディションが組まれていたり、
たぶんかなり期待されていた映画だったことはわかりますが、
そ、それをすべて一蹴してしまうって…。
オーディションにも楽曲制作にもお金はかかっているはずなのに。

だって1984年当時の細野晴臣に松本隆ですよ。
YMOがブームになった直後だし、
松田聖子や寺尾聰、数知れないほどのヒット曲の歌詞は松本隆が書いていた。
その曲だけで映画の話題を引っ張れるようなコンビです。
(実際にそのプロモーションは成功したからこそ、
いまだに私たちはこんなに覚えているんでしょう)

それを「物語のイメージに合わないから無理」
と却下できるって、どれだけすごい精神力なんだ。
映画会社だって「ですよね〜」なんて簡単に引き下がったわけがない。
きっとものすごいバトルやキリキリするような話し合いがあっただろうと想像できる。
私だったら、
「あ、じゃあ最後の部分、もう少し音楽に合わせて軽くしちゃおうかな〜」
なんてやっちゃいそうです。

でもやっぱりそれは正しかった。ナウシカは物語ももちろん素晴らしいけれど、
あそこまでの世界観を作り上げ、
それまで味わったことのない感動を世の中に与えることができたのは、
そして何度も何度も見返したくなるのは、あの久石さんの音楽があったから。
昨日も見ていてつくづくそう思ったのです。

自分の作りたい世界観をしっかりイメージし、
それと合わないものはいかなる大きな力があっても却下する。
その大切さをしみじみ感じます。
興業的には失敗するかもしれない。干されるかもしれない。
めんどくさいクリエイターとして敬遠されるかもしれない。
でもそんな恐怖に妥協していたら、あの世界的名作は生まれなかったのです。

アイドリング時間

2019年になって4日目ですが、昨日から仕事しています。
昨日は自宅で午前中に少しmacを開いて、編集長をしているIMABARI LIFEの記事の作成と、
ネーミングとコピーを少し考えました。まあ3時間くらいかな。

今日はもっとがっつり仕事しようと思って事務所に出社しましたが、
年賀状を見たり、経理の書類を確認して
税理士さんとメールのやり取りをしたり、
正月に炎上した某企業の広告について調べたり、
友人たちとポケモンのことでメールしたり、
えーと、仕事してないな。

いや、経理のやりとりも仕事ですし、その合間に一件、
年末に打ち合わせしたコピーの修正案を送ったりもしているのですが、
どうにもなかなかがっつりやっているとは言えない状態。
いまもこんな風にブログを書いています。

けれどこういう「アイドリング時間」も、
もしかして大事なんじゃないかと思うのです。

本当はアイデアを出す仕事って、1日も休まないほうがいい。
1日10時間やって2日休むより、
毎日3時間ずつ仕事するほうがはるかにいいアイデアが出やすい。
なぜならアイデアは一度走り出すと、考えていない時間も脳の中で熟成するから。
ということを私はいつも言ってきました。

けれどその「毎日考える」ということが、どうしてもできないときがあります。
年末年始はそのひとつ。
大晦日の夜からうちは埼玉の実家に帰り、
1日は夫の実家へ。
両方の実家でしこたまお酒を飲み、
お笑い番組を見てぐうぐう寝てしまう。
こんな1日で仕事できるわけもありません。
また「正月くらい仕事しなくていいか」
という気持ちにもなっているので罪悪感もありません。

2日は着物を着て初詣へ。
草履を履いて歩きまわったのでぐったり疲れて夜はまた日本酒を飲んで寝てしまいます。

不思議なもので、ほんの2日休んだだけで、
なんだか脳は仕事の仕方を少し忘れてしまいます。
えーと、何をすればいいんでしたっけ。
という感じになるんですよね。

で、このアイドリング時間。
事務所にきているのになかなか仕事を始められない。
だったら遊んでいても同じじゃないか、という気もしますが、
「なんだかはかどらないけど机に座っている」という時間も、何かしら意味があるように思うのです。
脳に「あ、そろそろ仕事するんですね」という認識をさせるというか。
「でもまだいいんじゃないですか? 松の内ですし」
とかいう脳の抵抗にNOを出す(あ、ダジャレっぽくなっちゃいましたが)。

脳は抵抗して私にいろんな余計なことをさせるわけですけれども、
そうしているうちにだんだん
「わかりましたよ。やればいいんでしょ、やれば」と観念してくる。
いまがそんな時間なんじゃないかなと思うんですね。

なんて言いつつ、グダグダしている1月4日。
いい加減仕事しましょうか。ふう。

手書きとパソコン

私にとって、文章を書くことは、呼吸のように必要なことだった。
これはきっと人の性格とか脳の構造の問題かなと思うのだけど、
私は文字にして書き出してみないと自分の思考が整理できないタイプの人間のようで、
たぶんそのせいで、中学生くらいまでは寡黙なほうだったと思う。
人と何を喋っていいのかわからないのだ。

高校生くらいから、毎日自分の思っていることをノートに書き出すようになった。
日記というには支離滅裂すぎる。日々の記録ではなく、思考の吐露。
でもそれをするようになってから、私は人と喋るのが苦痛ではなくなった。
自分の考えをスラスラと言えるようになったのだ。

コピーライターになってからは、
日々の思考吐露に加えて、アイデアノートのようなものも書きはじめた。
仕事とは別の書きたい文章を毎日書く。
100字から500字くらいの感覚で、毎日物語を書いていた。
それをするとしないのとでは、その日の仕事の効率が変わった。
コピーのアイデアがどんどん出るようになるのだ。
今日はちょっと調子が悪いなと思うと、アイデアノートをつけていない日だったりした。
慌ててアイデアノートをつけると、また仕事の効率も良くなった。
頭を柔らかくする、柔軟体操のような感じで、私はその作業をもう20年以上も続けている。

一年ほど前、毎日こんなに膨大な文章を書いているのにデジタル化されていないのは
勿体無いんじゃないかと、ふと思った。
今まで書いた思考吐露ノートは、捨ててしまったものもあるし、
(あるとき急に私が死んだらこれをみられてしまうのかと恐れて実家のベランダで焼いたことがある。
ポリバケツに入れて火をつけたら、ポリバケツがフニャッと曲がったので慌てて水を入れた。
父親に見つかって「日記を焼いた」と言ったら、「そうか」とだけ言われた。 という変な思い出があります)
大量に本棚に入れっぱなしにしてたりもするんだけど、
それをいまさら打ち直すのは、もう不可能に近い。
だからここから書くものはすべてエヴァーノートに書こうと思った。
デジタル化しておけば、あとで手直しして、何かに使えるかもしれないし。

それから一年。なんだか私は日々の仕事がちょっと億劫になってきているのを感じた。
おかしい。前はこんなにコピー書くのに時間かからなかったし、
もっといいアイデアも出た気がする。
もしかしてこれは、手書きでノートを書かなくなってきたせいじゃないんだろうか。

真偽はわからない。
手書きをやめてから、なぜかパソコンに打ち込むノートも、サボりがちになっていた。
パソコンで打つ方が、手書きよりもよっぽど速く書けるのに。よっぽどラクチンなのに。

そんなわけで、最近また手書きを再開した。
そうしたら滞っていた思考が流れ出したような気がしている。
真偽はわからないけれど、そんな気がしている。

別に私は手書きを礼賛したいわけではないんだけど、
それはパソコンを打つのとはちょっと違う脳を使うんじゃないかなと思っている。
書くものにあまり効率とか、マネタイズできるんじゃないかとか、
そういうことばかり考えていると失うものもあるんだなと知った。

企画って、ちょっと憂鬱なときがいい。

どうしてなのかはよくわからないけれど、企画やコピー、何かを考えなきゃいけない際、
ちょっと憂鬱なときのほうがいいアイデアが出やすい気がします。

幸せな恋をしているときよりも、せつない恋をしているとき、
仕事が順調なときよりも、なんだかちょっとうまくいかないなあ、というとき、
(この「ちょっと」というのがポイントではありますが)

「いいねー」と言われるような企画やコピーって、
そういうときのほうが、どうも出やすい。

もちろん幸せな状態というのはそう長くは続かないので、
結婚してる人より独身の人のほうがいい企画が出るとか、
そういうことではないんですけど。

これは脳って何か欠けてる状態を埋めようと働く機能があるのではないか、
と、私は勝手に思っています。
逆に満足してしまうと、「やれやれ、よかった」と仕事をやめてしまうのではないか。

だから、いい仕事を連発できる人って、きっと満足しない人なんだろうなあ。
いつも何かに飢え、渇望している状態なんじゃないでしょうか。

昨今は与えられた日常に満足することが幸福になる秘訣だ、という論調ですが、
「満足しない力」というのも確実にあるような気がしている私です。

リアルの積み重ね

ジブリの高畑勲さんがなくなったとき、朝のテレビでお葬式の風景が流れていました。

ジブリを設立されてからの作品はもちろんのこと、
「ハイジ」や「母を訪ねて三千里」「赤毛のアン」など、
子供の頃、夢中で見ていたアニメがほとんど高畑さんのものだと考えると、
私たち世代にとっては絶大な影響を受けた方で、改めて偉大な方だったと思います。

ガンダムの監督である富野さんという方が、
「高畑さんの下にいたから、僕はああいう作品(ガンダム)を作ることができた」
と語っていて、テレビでは短く編集されていたのでそれはあとでじっくりと他の記事でも読んで欲しいのですが、
私がその短い編集の中で、ほほうと思ったのが次の話でした。

ハイジのおじいさんは、ハイジと食べるパンやチーズなどを、テーブルの上に直に置く。
「この当時のスイスの人はこう言う食べ方をしていたんだ」ということだったんだけど、
お皿も何も使わないことにどうしても抵抗があるんです、と、
当時そのコンテを書いていた富野さんが言うと、
「いまだってスイスの人は普通にそうやって食べてますよ」と高畑さん。
グウの音も出なかった、と富野さんはテレビで語っていました。

当時、子供向けのアニメに、ここまでリアルを追求して作っていた現場はなかったのかもしれません。
いや、いまだって、ものづくりの現場では、たくさんの嘘が描かれていると思うのです。
別にいいじゃん。そこは本質じゃないんだから。
親からクレームが来たらどうするの。子供にはわからないでしょ。
そんな風に様々な理由で、または時間がないなか特に調べることもせずに、
作られているクリエイティブはたくさんある。
広告なんてそんなことの繰り返しです。
だから私は、その話はちょっと当時の富野さんの気持ちもわかりながら、
耳の痛い気持ちで見ていました。

高畑さんの手がけられたアニメーションは、
きっとそんな様々な理由と戦いながら、ディテールまで手を抜かずに、リアルを追求してきた。
そのリアルの積み重ねがあったからこそ、あれだけ多くの人に支持され、
子供たちを夢中にさせることができたのだと思うのです。

ハイジという作品を思い出すと、
私自身もものすごくいろんなディテールを覚えているのです。
当時は子供すぎたから、再放送で覚えているのかもしれませんが、
どちらにしても子供の頃に見たもののわりには、いやだからこそ、たくさんのディテールを覚えている。
おじいさんが作っていた大きなチーズのかたまり。
(当時、プロセスチーズしか見たことのなかった私には、チーズってあんなに大きいの?と衝撃的でした)
ハイジが寝床にしていた藁のベッド。
ユキちゃんと名付けられた小さなヤギ。
フランクフルトに連れられてきたハイジが、感動した白いパン。

私も母親が買ってきてくれたロールパンの皮を剥いて、「白いパン」と言って遊んでたのを覚えています。
(いま思えば、最初からたぶんそれはハイジ的にいうところの白いパンだったわけですが)

当時の日本の子供に「黒いパン」と「白いパン」なんて言ってもわからないだろう。
(日本にはライ麦のパンなんてない時代でしたから)
と、話を省くことを高畑さんはしなかった。
けれどその「なんだかわからないけどそういう文化があるのだ」というワクワク感が、
あのハイジという作品にはあったように思います。

視聴者をバカにしてはいけない。子供をバカにしてはいけない。
その精神は、ものづくりにおいて、とても大切なことのように思います。
そして大切なことなのに、しばしば忘れられてしまうことでもあります。

同じような感動を、先日、北海道の富良野に行って、北の国からの倉本聰さんの思想に触れたときに思いました。
その話はまたいずれ書こうと思います。

アイデアは熟成する

徹夜とか長時間の打ち合わせとかには反対な私ですが、
できるなら仕事は毎日したほうがいいという持論もあります。

土日も祝日も、今日みたいなゴールデンウイークの中日でも、
コピーや企画を考えることは休まないほうがいい。
じゃないと休み明けがキツイのです。
コピーの書き方を忘れるのです。

発想というのは不思議なもので、ちょっとずつ毎日やり続けると
どんどん出るようになる。
例えば月曜日に5時間考えて、金曜日まで何もしないよりも、
毎日1時間ずつ考えたほうがいいアイデアが出る。
これは私の長年の経験から、はっきりと確実にそうだと言えることの一つです。
アイデアというのは寝かせると熟成するのです。

だから私は時間のない仕事があまり好きではありません。
「明日までに提出してくれる?」
という仕事です。
もちろん、できなくはない。
そういう仕事は、1日で提出したというだけで感謝されるし、
コストパーでいうとかなりいいギャラをもらえることも少なくはない。
けれどその1日で出した仕事を次の日見返したとき、
もっといいアイデアに熟成している可能性を放棄することになるのです。

まあそんなことを言いながらも、もちろん時間のない仕事がきたらやりますし、
それがプロだと思っていますし、
そのためにも仕事しなくていい日にもアイデアを出す訓練というのは有効です。
なんでもいいから考えたことを書いたり、架空の課題を自分に出して自分に提出したり、
そんなことがいざというときの訓練になると思っています。

SNSにくだらない投稿をすることだって、そのうちのひとつです。
くだらない投稿をして、誰かからコメントをもらい、
またそこにくだらない返信をする。それだって思考の訓練です。
なんてことをいつも考えながらやってるわけではないですが。
ちょっと正当化しすぎたでしょうか。

自分を感動でいっぱいにする

昔、某CMの仕事で、書道家の紫舟さんとお会いしたことがある。

書道家とは字の上手い人、というくらいの認識でいた私には、紫舟さんのお仕事は衝撃的だった。

たとえば「道」という字も、くねくねとしていたりして、本当に「道」という感じだし、
「雲」という字も、どんよりとしていて、どのような曇り空なのか想像が広がる「雲」なのだ。

もう10年近く前だったと思うけど、その頃からチームラボと組んで
自身の書かれた書をムービーにしたりされていた。

また、「ありがとう」と書いた書を立体のオブジェにして照明を当てた作品もあった。
後ろの壁に「ありがとう」の影が浮かんでいる。
「人が『ありがとう』というとき、その裏にはまた別の『ありがとう』が隠れていると思うんです」
そんな気持ちを作品にしたものだという。

書道とはデザインであり、そしてアイデアなのだった。

そんな紫舟さんのオフィスには、ゆりかごのような椅子がおかれていた。
「ゆらゆらと揺れているとアイデアが浮かびやすい」からなのだという。

「ライブで書を書くようなときは、その前に自分を感動でいっぱいにするんです」
ともおっしゃっていた。その感動が書に伝わり、観客にも伝わっていくのだと。

10年経っても、私はときどきその紫舟さんの言葉を思い出す。
そして、コピーを書くときも同じだと思うようになった。

時間のない仕事でも、クライアントの話を聞いたあとや、スタッフとブレストしたあと、一気にコピーが書けることがある。
あれは「自分を感動でいっぱいにしている」状態ではないだろうか。

逆に、全くその商品やブランドに共感できない状態のまま、いいコピーというのはなかなか書けない。
私がなるべくクライアントに会わせてほしい、取材をさせてほしいというのは、そういう理由がある。

一気にいっぱいにならなくてもいいかもしれない。
毎日少しずつ考えて行くなかで、その商品への想いが自分の中で飽和状態になる、ということもある。
それもまた「自分を感動でいっぱいにする」という状態かもしれない。

もちろん仕事だから、そんな状態にならなくても、納品することはできる。
けれど感動でいっぱいにしたときとしなかったときの差は、そのコピーの伝える力の差になってしまうような気がしている。

祝・働き方改革

某家電メーカーに勤めるエンジニアの友人と話していたら、
先日の「思いつきの科学」を裏付けるような話があった。

何かひとつのことをずっと考えさせたグループと、
途中でストップさせて、別のことをさせたグループでは、
別のことをさせたグループの方が思いつくアイデアの量が多かったという。
(かなりうろ覚えなので表現はいい加減だけど、意味は合っていると思う)

確かにわかる気がする。
すごく時間があって、じっくり考えられるぞと思っていても、
意外とそういうときは夜になってもたいしたアイデアが浮かんでいないことが多い。

反面、忙しかったり、または途中なにか別の用事が入って
考えを中断しなければならなかったときの方が、
短時間にパッといいアイデアが浮かんだりするものだ。

昔、やたら長い打ち合わせがあったけれど、
あれが本当に私は苦痛だった。
4時間、5時間、ひどいときは12時間の打ち合わせなんていうのもあった。
夜の7時に集まって、解散が2時。翌日また7時に集まるとか。
特殊な例ではなく、そんな打ち合わせ山ほどあった。

しかしいまはだいぶ変わった。
「スマートワーク」やら「働き方改革」の名のもとに、
そういう打ち合わせはかなり減った。
もしかしてまだやってるチームもあるのかもしれないけれど、
私の関わっている仕事に関していうと、皆無である。
いい時代になった。

そんなことではいい仕事できない、なんていう同業者もいるけれど、
私は本当に助かっている。
そもそも体力がない。睡眠不足に弱い。飽きっぽい。お腹が好きやすい。夜は飲みに行きたい。
そういう性質なので、長い打ち合わせが本当に苦手なのだ。

でもそれは、なによりも長い打ち合わせからいいアイデアが生まれない気がしていたからに他ならない。
人間、ひとつのことを続けて考えるのには限界があるのだ。
私がサボり体質だからではなく、科学的見地からそうなのだ。
理系の人が言ってたから多分間違いないと思う。

これからも私はひとつのことを長時間考えることなどせず、
夜は飲みに行って、ぐっすりと眠りたいと思う。

思いつきの科学

つい最近、NHKの「人体」という番組でやっていたんだけど、
なるほど、と膝を打つような話があった。

アイデアを思いつくときの脳の状態は、ぼーっとしているときの脳の状態に
非常に近しいものがあるらしい。

だから私たちは電車に揺られたり、シャワーを浴びたり、ソファでウトウトしかけたりしているときにアイデアを思いつくのだろうか。

脳って不思議で、ずっと酷使しすぎるとオーバーヒートして
うまく働いてくれない。ということは、この20年以上アイデアを考える仕事をしている経験で、なんとなくわかっていた。
ヤングさんという人の「アイデアのつくり方」という本の中でも、
「資料を集める」「考える」という流れの中に
「一度忘れる」というプロセスがわざわざ入っている。
この「一度忘れる」というプロセスは、脳科学的にも正しかったのだ。

そんなわけで、最近の私は、以前にも増して積極的にぼーっとしている。
もっとぼーっとした人間になれるよう、精進したいと思っている。

© 2023 koyama junko