コピーライター・こやま淳子

リアルの積み重ね

ジブリの高畑勲さんがなくなったとき、朝のテレビでお葬式の風景が流れていました。

ジブリを設立されてからの作品はもちろんのこと、
「ハイジ」や「母を訪ねて三千里」「赤毛のアン」など、
子供の頃、夢中で見ていたアニメがほとんど高畑さんのものだと考えると、
私たち世代にとっては絶大な影響を受けた方で、改めて偉大な方だったと思います。

ガンダムの監督である富野さんという方が、
「高畑さんの下にいたから、僕はああいう作品(ガンダム)を作ることができた」
と語っていて、テレビでは短く編集されていたのでそれはあとでじっくりと他の記事でも読んで欲しいのですが、
私がその短い編集の中で、ほほうと思ったのが次の話でした。

ハイジのおじいさんは、ハイジと食べるパンやチーズなどを、テーブルの上に直に置く。
「この当時のスイスの人はこう言う食べ方をしていたんだ」ということだったんだけど、
お皿も何も使わないことにどうしても抵抗があるんです、と、
当時そのコンテを書いていた富野さんが言うと、
「いまだってスイスの人は普通にそうやって食べてますよ」と高畑さん。
グウの音も出なかった、と富野さんはテレビで語っていました。

当時、子供向けのアニメに、ここまでリアルを追求して作っていた現場はなかったのかもしれません。
いや、いまだって、ものづくりの現場では、たくさんの嘘が描かれていると思うのです。
別にいいじゃん。そこは本質じゃないんだから。
親からクレームが来たらどうするの。子供にはわからないでしょ。
そんな風に様々な理由で、または時間がないなか特に調べることもせずに、
作られているクリエイティブはたくさんある。
広告なんてそんなことの繰り返しです。
だから私は、その話はちょっと当時の富野さんの気持ちもわかりながら、
耳の痛い気持ちで見ていました。

高畑さんの手がけられたアニメーションは、
きっとそんな様々な理由と戦いながら、ディテールまで手を抜かずに、リアルを追求してきた。
そのリアルの積み重ねがあったからこそ、あれだけ多くの人に支持され、
子供たちを夢中にさせることができたのだと思うのです。

ハイジという作品を思い出すと、
私自身もものすごくいろんなディテールを覚えているのです。
当時は子供すぎたから、再放送で覚えているのかもしれませんが、
どちらにしても子供の頃に見たもののわりには、いやだからこそ、たくさんのディテールを覚えている。
おじいさんが作っていた大きなチーズのかたまり。
(当時、プロセスチーズしか見たことのなかった私には、チーズってあんなに大きいの?と衝撃的でした)
ハイジが寝床にしていた藁のベッド。
ユキちゃんと名付けられた小さなヤギ。
フランクフルトに連れられてきたハイジが、感動した白いパン。

私も母親が買ってきてくれたロールパンの皮を剥いて、「白いパン」と言って遊んでたのを覚えています。
(いま思えば、最初からたぶんそれはハイジ的にいうところの白いパンだったわけですが)

当時の日本の子供に「黒いパン」と「白いパン」なんて言ってもわからないだろう。
(日本にはライ麦のパンなんてない時代でしたから)
と、話を省くことを高畑さんはしなかった。
けれどその「なんだかわからないけどそういう文化があるのだ」というワクワク感が、
あのハイジという作品にはあったように思います。

視聴者をバカにしてはいけない。子供をバカにしてはいけない。
その精神は、ものづくりにおいて、とても大切なことのように思います。
そして大切なことなのに、しばしば忘れられてしまうことでもあります。

同じような感動を、先日、北海道の富良野に行って、北の国からの倉本聰さんの思想に触れたときに思いました。
その話はまたいずれ書こうと思います。

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