コピーライター・こやま淳子

ネパールのシャワナ

この8月にネパールへ行き、取材して出会ったシャワナ。

資料には12歳と書いてあったのに、その場で実は9歳だと判明しました。出生届を偽られた理由は、「早く結婚させたいから」。
この仕事を始めてからもう5年以上になりますが、現地に行って、彼女たちの家族とも会い、その想像以上に根深い状況に衝撃を受けました。

「私たちだって仕方ないんだよ。貧しいから」
と、シャワナの母親は言いました。

この地域では、ダウリー(結婚持参金)を女性側の家族が男性側の家族に払う習慣があり、花嫁が若ければ若いほど、それが軽くてすむと言います。

救いだったのは、
「その習慣は私たちが終わらせよう」
と、シャワナが自分で両親を説得したという話でした。

「どうしても結婚させるなら警察に行く」
とまで最後は言ったらしいです。

そしてそれはプランや地元NGOが続けてきた教育プログラムによって、
シャワナが得た知恵だったということも聞きました。
教育が女の子に力を与えるのだ。と、改めて実感しました。

3日間の取材の最後に「また来てね。今度いつ来るの?」と私を見上げて言ったシャワナの瞳が、いまも忘れられません。

女子中高生とコピー。

ときどきコピーの授業をしています。

教えるって行為は、はっきり言ってめんどうくさい。

授業の前の一週間は、いつもそれなりに準備をするのですが、

その時間が私は本当に嫌いです。

(資料を完全に使いまわしで授業するということはなく、

いつも講義内容や生徒に合わせて、少しずつカスタマイズします)

ああめんどくさい。なんで講義とか引き受けちゃったんだろう。

と思います。

 

が、実際に講義をやってみると、とても楽しいんですね。

人前で話すのは緊張するから嫌いなんだけど、

実際にやってみると、その緊張感が、気持ちいい。

そもそもマイクを通して、誰にも邪魔されず喋り続けるって、気持ちいい。

ちょっと言ったことがどっとウケたりすると、また気持ちいい。

終わった後に送られてくるアンケートで「とてもよかった」

なんて言われると、これがまたこの上なく気持ちいいのです。

 

で、先日は世田谷区の鴎友学園という、中高一貫の女子校に行ってまいりました。

入るなり、8色のセブンチェアが並んでいて、

ちょっとびっくりしました。おしゃれな学校ですね〜。

宣伝会議賞に、数年前に新設された「中高生部門」というのがあって、

それに応募してもらおう、という、

宣伝会議と学校がタッグを組んだ企画です。

そういう取り組みをやってること自体が、いい学校だなあと思いました。

受験勉強にはなんの関係もない授業。

そういう「無駄なこと」も、きっとこの先の人生には

とても役に立つんじゃないかなと。

 

いえ、むしろ、それが「無駄なこと(やってもやらなくてもいいこと)」

のうちに学んでおいたほうが、

それを好きになれる可能性って上がるんじゃないかな。

 

私はコピーを学ぶ前にコピーが職業になってしまったクチなので、

純粋に好奇心の対象としてコピーを学べる彼女たちが、

ちょっと羨ましい気もします。

 

この日は、中間試験か何かが終わった日らしく、

また、中学生はお休みの日だったらしいのですが、

それでも中高合わせて数十人の生徒さんたちが集まってくれました。

ここで広告や、言葉を考えることを、好きになってもらいたいなあ。

という使命感がふつふつと湧いてきた私。

 

「コピーライターって何?」

という、基本的なことから、

 

「コピーってどういう役割なの?」

という本質的な話まで、

ふだんの授業よりもかなりかみ砕いて説明しました。

 

やってみると、ふだんの授業でも、これくらいかみ砕いてもいいかなあ、

と思ったり。

 

でも私の言いたいことは、いつも同じです。

 

コピーとは、人とモノ(商品)をつなぐ価値を発見すること。

広告には、いろんな手法があって、

人気タレントだったり、おもしろいセリフだったり、

ネットと連動した企画だったり、そういうことで話題になる広告もたくさんあるけれど、

コピーライターの使命は、本質的な商品(やブランド)の価値を

どうしたら人に伝えることができるのかを考えること。

そこから逃げちゃダメだよ!ってこと。

 

そして、コピーを考えるって、人間を考えることなんだよ。

ってこと。

 

最後の40分では、実際の課題をやってみました。

おもしろかったのは、そのときのブレスト。

「じゃあ、この商品のいいところと悪いところを言っていこうか。

端のあなたから」

というと、それまでシーンと聞いていた中高生たちが一斉に

「えーー!!」

と悲鳴をあげます。

 

「いや、それがわからないとコピーは書けないよ!

さっさと答えて、はい!」

という感じで指していくと、嫌がっていたわりにはスラスラと、

その商品のいいところと悪いところが挙げられて行きます。

 

で、途中まで来ると、気づくんですね。

悪いところといいところはつながっている。

ネガティブな部分も、ひっくり返すとポジティブにになる。

そう、その発見が、コピーの原石だったりするわけです。

 

で、ブレストが終わると、今度は個々にコピーを考える時間に。

10分ほど考えてから、紙を回収。名前書いてね〜。とか言いながら。

 

そして5分休憩し、集めたコピーをざざざっと見ると、

お? けっこういいコピーあるね。

 

これは前にもやったことあるのですが、

ブレストを挟むと、ブレストやらないときよりも、

その後に出て来るコピーが明らかに違う。

いいコピーが多くなるんですね。

 

考えてみれば、実際の仕事でも、

アイデアを持ち寄る前にスタッフ間でブレストはするわけで、

人の意見を聞いてアイデアを膨らますって大事なステップなんだな…

と改めて思いました。

 

「じゃあ、この中から特によかったコピーと、まあまあよかったコピーを発表します。まず、〇〇さんのコピー」

と言うと、またもや

「ええーー!!」

と悲鳴。そして止まらないざわめき。え。なになに? なにごと?

 

しばらくしてわかりましたが、

「え!名前発表されるんですか!!」

という悲鳴およびざわめきでした。

思春期っておもしろい。そんなことが大事件なのね。

 

「いや、いいコピーしか発表しないから。いいでしょ、名前言っても」

 

実際、名前を言っておかないと、そのコピーが真似されちゃったりしてもかわいそうだし、

それにここで褒められた子は、きっとものすごく自信になるんじゃないかなと思ったわけです。

 

あとで聞いたら、

やっぱりここで褒められた子は、とても嬉しかったらしい。

 

そういう記憶が、たとえばこの先コピーを書くわけじゃなくても、

広告とか、ものづくりとか、何かしらのアイデアを出す仕事をやってみようかなという自信になったりするんじゃないかな。

 

なんて思いながら、すごく良かったコピーだけじゃなくて、

ちょっとよかったとか、もう少し表現を工夫すればよくなったのにとか、

この考え方はユニークだよねとか、

なるべくいいコピーをたくさん発表していきました。

まあ1時間半という時間はとても短くて、

すべてのコピーは発表できなかったんだけど。

 

そして最後に発表した3本は、中高生が初めて書いたコピーとは思えないような、とてもいいコピーでした。

そのまま広告に使っても、それなりに人の心を捉えるんじゃないかと思えるような。

 

そんなコピーが出てきて、私はとても嬉しかった。

そのスキルは、こんな風にものごとの本質を考えた経験は、

コピーライターじゃなくても、きっと何かの仕事に役に立つから。

だから本質から逃げないで、これからも人と世界をつなぐ言葉を探し続けてくれるといいな。

 

帰ってきてから送られてきたアンケートを見て、また感動しました。

一人ひとりがかなりしっかりと書いてくれていて、

中高生って、本当にちゃんと話を聞いてくれて、ひとつひとつのことを心に染み込ませてくれてるんだなということがよくわかりました。

うーん、教え甲斐。

 

行く前はあんなにめんどくさかったのに、やっぱり教えるって楽しい。

教えることで私もたっぷり学ぶことができた、そんな秋の土曜日でした。

またいつか皆さんと、どこかで会えるといいですね。

 

 

 

 

 

 

 

こやまさんはどんなフリーになりたいの?

「こやまさんはどんなフリーになりたいの?」

会社を辞める相談をしたとき、その人は言いました。
その人は会社にいるとき、マーケの部署からクリエイティブに転身した方で、
フリーランスになってからは、ストラテジーとコピーライター両方できることを売りにしていました。
いまの時代はもうコピーが書けるだけじゃダメなんだ。
と、その人に言われているような気がしていた私は、そのときぐっと言葉に詰まってしまいました。
私が独立する2年前くらいの話です。

その後、私はその人の言葉をじわじわと噛み締めて、少しずつ覚悟ができてきました。
いや、やっぱり私は言葉で生きていくんだ。という覚悟が。
というか、それしか出来ないという方が正しかったわけですが。
コピーライターがコピーを追求して何が悪いというのか。
私は誰よりもコピーを大切にするフリーランスになるのだと、
開き直りにも近い覚悟をすることができたのです。

私は自分の名前のはじめの一文字をカギカッコに見立てたマークを作り、
事務所のロゴにしました。
ここからたくさんの言葉をつくっていきます。そんな意味を込めて。
2010年の4月1日、こやま淳子事務所を創立。
おかげさまで昨日、8周年を迎えました。

でもそれも、いま思えばその人がそんな問いかけをしてくれたからのように思うのです。
流行っている仕事のスタイルや、周りのおもしろい人たちの真似をしていても、
そこに覚悟がない限りはきっと中途半端な仕事しかできない。
その人がいたからこそ、その人とは違う道を選ぶことができ、
いまも自分が行くべき道を歩いていられるのだと思っています。

今朝、その人の訃報を聞きました。
そんなバカな。私よりちょっとしか先輩ではないその人の訃報。
原因も何もわからないうちに、お通夜とお葬式の詳細がまわってきました。

去年か一昨年、その人の事務所引越し祝いに伺ったときは、
まだお元気で、原宿の広々としたマンションで盛大なパーティを開いてらっしゃったのに。
「こやまさん、一緒に仕事しようよ」
そう仰っていたのに。

人はいつ亡くなるかわからない。
そんなショックと動揺の中で、昔その人がくれた言葉を、また思い出しました。

「こやまさんはどんなフリーになりたいの?」

今日はこの言葉をもう一度振り返りながら、これからの一年を考えてみようと思います。

おかげさまでこやま淳子事務所は9年目を迎えました。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

こやま淳子

マンボウが好きです。

マンボウが好きです。

20歳のときに池袋サンシャインの水族館でマンボウを見て、
その、泳いでいるというよりは、ゆらゆらと浮いているだけにしか見えないその姿に
衝撃を受けました。

こんなにやる気のない生き物って、いるんだ。

それはぼーっとしているとか、うかうかしているとか、
そんな生易しいやる気のなさではなく、
自分自身が生きているかどうかもきっと知らないんだろうな、と思えるような、
壮絶なやる気のなさでした。

以来、私はマンボウのことが頭から離れませんでした。
それから2年ほど後に鴨川水族館かどこかに行って、マンボウのぬいぐるみを購入。
そのぬいぐるみをイラストに書いたりして、そのイラストをその頃macintoshに入っていたクラリスワークスというソフトで加工し、便箋にして配ったりしていました。
(なんだこのエピソード)

その頃、「癒される」という言葉は、まだいまほど流行っていなかったと思いますが、
一浪してバブル末期の早稲田大学に入り、
「なんだワセジョか」などと言われ、
びっくりするほどビールを無駄に一気飲みするサークルの先輩男子たちや、
その男子たちに群がり、ビールを注ぎ、派手に盛り上がる同年代の女子たちの中で、
けっこう私は疲れていたのかもしれません。
そのやる気のないマンボウの姿に、心底癒されたのだと思います。

その後、マンボウは1億個も卵を産むけどほとんど無精卵で孵らないとか、
せっかく生まれてきても精神が弱くて、例えば何かにぶつかるとすぐにショック死してしまうとか、
ときどき水面に浮かび上がって日向ぼっこをするから、英語ではサンフィッシュ(sun fish)と呼ばれているとか、マンボウのさまざまな情報を知るにつれ、
どんどんマンボウが好きになっていったのです。

というわけで、これまで私のブログのタイトルはずっと「東京サンフィッシュ」でした。
東京に住み、忙しく働き、またあくせくと遊んでいるけれど、いざとなったらマンボウのように生気をなくすことだってできる。
もちろん、生き生きと生きられることが一番いいのかもしれないですが、
長い人生には、死んだふりをしながら生きなきゃいけないことだってきっとある。
そんな風に考える私にとって、マンボウは心のお守りのような存在なのです。

ま、いろいろと書きましたが、そんなわけで、マンボウ日記というこの記事は、
日々思ったことをつらつらと結論もなく意味もなく書き連ねる場にしたいと思います。
マンボウあんまり関係ないな。

© 2018 koyama junko